大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和39年(行ツ)39号 判決

上告人

西方利馬

上告人

三浦徳三郎

右両名訴訟代理人

細谷芳郎

逸見惣作

被上告人

山形県選挙管理委員会

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人逸見惣作の上告理由について。

論旨は、原判決が本件において上山市長松本長兵衛の退職申出の撤回を有効と認めたのは、地方自治法一四五条の解釈を誤つたものというにある。

しかし、地方自治法は地方公共団体の長の任期中の退職を原則として自由とし、ただ一四五条において、退職申出の相手方を議会の議長と定めるとともに、その退職の効果発生の時期だけは長の自由意思に委せず、その退職申出後法定の期間を経過してはじめて退職できるものとし、さらにその制限をも緩和して、議会の同意を得たときは、右退職の効果発生の時期を繰り上げることができるものとしているのである。そして、このような長の退職の自由と、他面長の任期は長の利益のために法の保障するところであることを併せ考えると、一旦退職の申出をした長が、その退職の効果の発生前において、右申出を撤回して在職することも、また原則として許されるものと解すべきである。しかも、このことは長が繰り上げ退職のために議会の同意を得た場合とそうでない場合とによつて区別すべき理由はない。論旨は、長の繰り上げ退職の申出につき議会の同意の議決があつたときは、退職はこれによつて有効に成立し、関係者を拘束するものと説くけれども、右議会の同意は長の退職自体についての許可あるいは承諾の意味を含むものではなく、法定の退職時期の繰り上げを可能とするだけのことであるから、右同意をもつて退職の意思表示を不動のものたらしめる根拠とするに足りない。もつとも、一たんなされた長の退職申出を基礎として新たな公的秩序が形成されるに至つたときは、たとえその退職の効果発生時期の以前においても、その申出の撤回は許されないとする論は、首肯しうるものであるが、しかし、それは、前記議会の同意のあつた場合であると否とにかかわらないのみならず、そのいわゆる公的秩序の形成とは、公職選挙法一一二条二項による繰り上げ当選人の決定、同法一一四条及び三四条一項による選挙期日の告示などのように、みだりにその効果の動かしがたいものが行われるに至つた場合と解するのを相当とし、論旨のように、選挙管理委員会が長の退職に関し法定の通知を受け長の退職による選挙の告示準備等の手続を進めなければならない状態を生じたという程度をもつてしては、いまだこれにあたるということはできない。本件市長の退職申出の撤回について、原判決が、それが右申出に基づく新たな公的秩序の形成以前のことに属し、かつ市長個人についても信義則上その撤回を咎むべき事由はないものと認め、これを有効と判断したのは正当であつて、論旨は採用しがたいものといわなければならない。

上告代理人細谷芳郎の上告理由第一点について。

論旨は、要するに原判決の上山市長松本長兵衛の退職申出の撤回を有効とした判示について、理由の不備ないし理由そごの違法があるというのである。

しかし、原判決は、本件における市長の退職申出についての市議会の議決は、その退職の効果発生時期の繰り上げに対する同意以上の意味をもつものでないこと、右退職申出の撤回を制限すべき右申出に基づく新たな公的秩序の形成とは、選挙期日の告示のようなみだりにその効果の動かしがたい行為のすでに行われている場合においてはじめて認めうるものであること、従つて本件退職申出の撤回は、右公的秩序形成の面からも、また信義則の上からも、これを許さないとする理由はないことを判示しているのであつて、その判断の正当なことについては、さきに逸見代理人の上告理由について説示したところである。所論は、右と異なる見解に基づき、または原判決の判示を正解しないで、これを論難するに帰すものであつて、理由がない。

同第二点について。

論旨は、原判決が、本件における市長松本長兵衛の退職申出の撤回について市選挙管理委員会にあてられた市議会議長の通知書は、議会事務局職員佐藤賢二が議長名義をもつて作成した無効のものとする上告人の主張を排斥したのをもつて、法令の適用を誤りかつ理由不備の違法があるというのである。

しかし、本件の場合は、さきに市議会議長において松本市長の退職申出の旨を市選挙管理委員会に通知している以上、その申出の撤回があれば、すでに通知した事項に変更のあつたものとして、速かにその事実を市選挙管理委員会に通知すべきは当然であつて、右市長退職申出の撤回の効力いかんは、右選挙管理委員会において独自に判断して処理すべき事項であることにかんがみれば、所論のように議長において右撤回の効力に疑義があつたにしても、その通知を躊躇すべきものではないのである。そして原審の認定したような事情のもとにおいて、市議会事務局の文書発送を担当する職員佐藤賢二に右のような通知書を作成発付する権限を認めえないものではなく、論旨は、採用しがたいものといわなければならない。

同第三点について。

論旨は、原判決が、本件における市議会議長名義の市長退職申出撤回の通知書を、市選挙管理委員会において午後五時以後にかかわらず受理したのをもつて、公職選挙法二七〇条の二に違反するものと認めなかつたのは、法律の解釈を誤つものというにある。

しかし、同条がとくに選挙管理機関の執務時間を法定した趣旨は、選挙に際し選挙人、候補者、出納責任者、政党その他の政治団体等選挙管理機関の管理をうける者の側より右機関に対する届出、請求、申出その他の諸行為が、緊急あるいは日限等を理由として無秩序に行われやすく、これに対処する機関の行為もそれに動かされて公平を欠くに至る虞なしとしないので、機関の執務時間を明確にし、執務の合理化と管理の公正を図るにあるものと解するのを相当とする。従つて、同条は、行政機関相互間の通知、報告等の行為にまで適用すべきものではなく、この点に関する原判決の解釈に、なんら誤りはないといわなければならない。

同第四点について。

論旨は、本件において市選挙管理委員会の委員、職員等が市長松本長兵衛の退職並びにその撤回について、これを慫慂、指導した行為、ことに市選挙管理委員会書記長酒井寿男が市長の退職申出の撤回のできるよう取り計らい、本件選挙を市長の任期満了の選挙として行わせたのは、右松本個人の利益を図つたもので、公務員を全体の奉仕者とする憲法一五条二項にも違反するものであるのに、原判決がこれを選挙無効原因とする上告人の主張を排斥したのは失当であるというにある。

しかし、原判決が証拠に基づいて認定したところによれば、本件において市選挙管理委員会は当初から選挙告示日を八月三一日とする市長の任期満了による選挙の施行を予定していたところ、市長松本長兵衛に右選挙に現職のまま立候補することを避けたい意向があつて意見を徴されたのに対し、その職員から、選挙期日告示後に効果を生ずべき退職申出であるならば、その任期満了による選挙の施行に影響ない旨の見解が示され、市選挙管理委員会としては、かような法律の誤解について県選挙管理委員会の指摘をうけるまで全く気付いていなかつた事実、そして右が誤解であつたことが確実とみられるに至つたため、書記長酒井寿男等は、市長の側にもその旨を通じ善処を求めたところ、さきに右誤解に基づいてなされた市長退職申出の撤回が市議会議長あてになされたので、市議会事務局側の協力を得て、当初からの予定どおり八月三一日を告示日する市長の任期満了による選挙の告示を支障なくすることを得た事情を看取することができるのであるから、右市選挙管理委員会及びその職員の行動は、必らずしも選挙法の精神に反する不公正な行為とはいえないものであり、原判決が、これをもつて市選挙管理委員会が本件選挙に立候補した右松本長兵衛に当選をえせしめる目的をもつてなされた行為と認めなかつたのは正当である。従つてこれを違憲と論ずるにはその前提を欠くものというべく、もとよりこれを本件選挙の無効事由と認めることはできない。論旨は理由がないものといわなければならない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官奥野健一 裁判官山田作之助 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外)

上告理由≪省略≫

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例